プロフィール

私がWebライターになるまでの経緯と経歴|雇われ時代はどん底でした

タイラミオ

フリーランスとして独立して3年。

現在ウェブライターをメインになんとか事業を継続できている私ですが、実は雇われて働いていた時代は2年以上仕事が続いたことがありませんでした。

しかも、ウェブライターに関しては、新卒で初めて就職した会社で散々才能がないと怒られ罵られ、ライターなんか二度と仕事にしないとまで思った過去があります。

そんな私が一周回ってウェブライターとして開業にいたり、あんなに仕事が続かなかった私が3年以上も同じ仕事を続けられている、そんな経緯と山あり谷ありの経歴についてお話ししたいと思います。

好きなことを仕事にしたら、好きなことが嫌いになった

好きなことはとことん凝り性、興味がないことはとことん飽き性な私。

そんな私が学生時代から唯一続けていたのが、日記を書くことでした。紙の日記帳に文章がたまり、自分の自伝ができていくようですごく楽しかったのを覚えています。

そんな私が新卒で働き始めたのは、少人数で仕事をまわすウェブ制作会社。私はインタビューをしたり、リサーチをして記事を書くライターのポジションで採用され、まさに自分の好きなことが仕事にできるとやる気満々でした。

でもそんなワクワクは出勤初日で撃沈。今までの「好きに自由に書くこと」と「仕事としてお客さんありきで書くこと」の圧倒的な違いを思い知りました。

社長はものすごく厳しい人で、私の文章や画像選びのセンスの無さ、求められていることを正しく理解できないところにマジギレ。

少人数でそれぞれが仕事を抱えているため、手取り足取り教えてもらうような職場ではなく、見て学べ、自分で調べて学べ、センスを磨け、そんな職場でした。

自分がこのスパルタについていけるくらいハイセンスもしくは強靭な精神力の持ち主だったら良かったのですが、私は生まれ持ったセンスもなければ、食いついていけるほどの精神力もパッションもありませんでした。

月〜金まで出勤前はお腹が痛くなり、出勤後は放心状態。東京で仕事をしていたのですが、仕事後は何も考えることができず何度も山手線の反対方向の電車に乗っていて、そんな自分にも絶望しました。

新卒で入った会社をすぐに辞めるわけにはいかない、厳しくされたからという理由で辞めるなんて恥ずかしい、という思いから短くてもとりあえず1年は頑張ろうと続けていましたが、結局身体的にも精神的にももたずわずか3ヶ月で辞表を出しました。

社長もたぶん呆れていたと思います。辞めるときに社長に何か言われたかもしれませんが、頭が真っ白だったのか最後の会話を全く覚えていません。汗

この3ヶ月間は自分にとっては暗黒であり恥であり、早く忘れたい、ウェブライターなんかになりたいと思っちゃいけない、という気持ちが強まりました。

好きなことと仕事は違う。好きなことを仕事にして、好きなことが嫌いになるくらいなら、自分が得意なこと、慣れていることを仕事にしよう。そんな風に考えて転職活動をしていました。

バイトで慣れていた接客業で再就職したら、ちょっと自信がついた

「好きなことを仕事に」が完全にトラウマになった私は、転職先をアルバイト時代に散々経験した接客業・サービス業で探し、学生時代に留学で学んだ英語力を生かせるホテルの受付の仕事に就きました。

米軍基地に近いビジネスホテルだったため、外国人客も多く、英語力も評価されて自分が必要とされている喜びを実感。

前職の役立たず感がすごかったので、ちょっと褒められるだけで、涙が出るほど嬉しかったです。

やっぱりお金をもらって仕事をするなら接客業が向いていると確信し、仕事にも慣れ、気づけば2年が経とうとしていました。

自他共にこれが私の向いている仕事なんだと思えるほど、順調に業務をこなし、完全に失っていた自信もだんだんついてきました。ここでの経験がなかったら、今の自分はないと思えるくらい、本当に感謝しています。

結局続かない!仕事に飽きっぽい自分が本当に嫌!

ホテルでの仕事に落ち着いたかと思いきや、慣れてきたら慣れてきたで結局飽き性な私。就職して2年が経つ頃、学生時代の海外留学や一人旅が忘れられず、貯金したお金で中南米を一周したいと思いつき、ホテルを退職。(円満退職でした。)

中南米を3ヶ月ほど旅して日本に帰ってきた後、転職先として空港のインフォメーションカウンターでの派遣業務が決まりました。

ホテルの仕事も契約社員、空港の仕事も派遣社員だったので、正社員として働いたことは一度もなく、どうせここで一生働くことはないんだろうな、という気持ちが大きかったですね。

空港の仕事は毎日英語を使うので、学んだ語学を活かせるし、接客の勉強にもなりました。でも、日々の業務の繰り返しに飽きてしまい、派遣の期間満了で退職。

自分はこのまま一つの仕事を何年もかけて続けられず、中途半端なまま職を転々とするのかと思うと、心底自分に嫌気がさしました

初めての海外就職・初めてのベンチャー企業で奮闘!

派遣期間満了後、ありがたいことに知り合いのベンチャー企業の社長さんからフィリピンでの英語学校の立ち上げを一緒にやらないか、という話をいただきました。

最初は3ヶ月限定のインターンとして無給でやってみないか、とのこと。3ヶ月なら無給でも経験の一つとしてありかな、と当時25歳になったばかりで、今後の人生設計も全く決まっていなかった私は即決でフィリピン行きを決めました。

(当初は3ヶ月予定でしたが、結局インターンからスタッフになり、1年近く居座りました。笑)

立ち上げは思った以上に大変で、暑いアジアで全力で業務を行う日々。私は英語学校で日本人生徒さんの現地サポートをしながら、フィリピン人の講師たちとも業務連絡やミーティングなどを行い、この時期のおかげでコミュニケーション能力は日本語・英語ともに跳ね上がったと思います。

もともと人見知り出身なもので、疲れやストレスもものすごかったのが正直なところですが、今のビジネスパートナーと会えたのもフィリピンの英語学校だったので、この経験が人生を変えたと言っても過言ではありません

再びウェブライターの道へ

私がフィリピンでの任期を終え、引き続き海外で暮らしたいと思いカナダ・トロントでのワーホリを控えていた時、フィリピンの英語学校の生徒さんで、個人的にも仲良くしてくれていた方が東京に来てウェブ関係で起業することになりました。

ブログメディアを立ち上げ、広告収入やアフィリエイトをするとのことで、まずは何はともあれブログの記事を書く人が必要。

私がワーホリでカナダに行くことを知っていたので、カナダ留学・ワーホリに関するメディアの記事を書いてほしいとのオファーを受けました。

オファーといっても、最初は売り上げもないので報酬なし。100記事達成するまでは無心で無給で書いてほしいとのことでした。

冷静に考えたら、自分のブログならまだしも人のブログのためにタダで記事を書くなんてどんな都合のいいボランティアだと思う人もいるかもしれません。

でも、お金とか仕事とかを抜きにして、ここにきてまたライターという職業に向き合うことになったということに鳥肌が立ちました。これは、自分はライターには向いてないと落ちぶれた3年前のリベンジのチャンスなんじゃないか、と。

正直怖かったです。これでまた向いていないと言われたら、続けられなかったら、今度こそ書くことに一切の自信もなくなる。でもそれ以上にもう一回挑戦してみたい!という気持ちが勝ち、ここからまた私のライター人生が始まりました。

まとめ:気づけば10年以上書くことは続けていた

新卒のウェブライター業務で、完全に自信喪失して、好きだったはずの書くことが嫌いになった私が、他の仕事を経験した上で、またライター業に戻ってきたお話でした。

ウェブライターとして記事を書き始めてから4年。フリーライターとして独立して3年。2年以上どの仕事も続かなかった私が、書き続けられています。

これは根気強く指導してくれたビジネスパートナーのおかげであり、起業やライティングに関するアドバイスをくれた周りの人たちのおかげ。恵まれていると感じます。

そして今振り返ってみると、一時期書くことが怖い、嫌いになった時期はあったけれど、18歳の時から現在まで10年以上、日記をつけることは無意識に続けていました。

結局日常の一部として続けていた「書くこと」が私にとっての仕事になり、フリーランスになるための大きな武器となりました。

好きなことを仕事にした途端、嫌いになることって誰にでもあると思います。

でも1度や2度の挫折で諦めないで、一周回ってまた好きなことを仕事にするチャンスがきたら、それは絶対に掴み取ったもん勝ちです!ぜひ参考にどうぞ!

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